日本の農業は大きな曲がり角に差し掛かっている。
農業での「働き方」は、日本農業の変化に大きく左右されることは間違いない。
日本農業の将来を予測するために、何か参考になるものはないだろうか。
意外に思われるかもしれないが、
奈良時代から平安時代にかけて発達した「荘園」に似通っていくのではないか、というのが筆者の見立てだ。
〈農地の解放と荘園の形成〉
戦後、GHQの政策として農地改革というのが行われた。
広大な耕地を所有する地主から安く田畑を小作人に売り、自作農化する政策が推進された。
これにより、当時日本の総人口の実に4割以上(昭和25年時点で農家人口は約3780万人、
同年の日本の総人口は約8320万人)が農家だったのだが、この人たちが自作農化した。
これは、見方によっては現代版「口分田」だ。歴史の教科書をひもとくと、
7世紀のころに班田収授法という法律が制定され、農民に口分田を支給するという制度がスタートした。
農家にできるだけ公平に農地を分配し、耕作へのモチベーションを上げようという政策のコンセプトは非常に似通っている。
さて、現代の日本に戻ると、戦後50~60年を経過したあたりから耕作放棄地の問題がクローズアップされ始めた。
実はこれも奈良時代の日本とよく似ている。
班田収授法が実施されたとみられる7世紀終盤から50~60年経った頃、耕作放棄地が目立ち始めたのだ。
似ているのはそればかりではない。耕作放棄地の問題が大きくなるのを受けて、
農林水産省は政策を転換、それまでの小規模生産農家を軸とする農業生産を改め、
担い手農家や大規模生産法人に農地を集約する政策に舵を切った。
さて、奈良時代にも同じことが起きた。班田収授法が機能し始めてから50~60年経った頃、
墾田永年私財法(743年)が発布された。
これは、耕作放棄地を耕した人は自分の土地(私有地)にしてよい、という、
それまでの口分田の考え方とは真っ向から対立する政策だった。
そうでもしないと耕す人がいなくなってしまう、ということでもあったのだろう。
その結果、
現代でいう「担い手農家」(農業経営者・農業生産法人など認定農業者のこと)や大規模生産法人が発達した。それが荘園だ。
続きはソースで
JBpress
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52199
荘園ねぇ 見立ては面白いよ。
ただ、豪族を作ってまた小作人(奴隷)を出すよりも前に
制限かけることはできるよ。
って言うけど、資本主義国家からきた連中が私有財産巻き上げて勝手に分配したとか、やったことはせいとかできない強盗行為なのに賞賛する戦後
公平な分配を目指すとしても別に犯罪を犯して成したわけでもない私有財産を勝手に没収して分配したのは正当化されうるのか疑問
農地問題は戦前からの問題で小作と地主の対立は相当深刻な問題だったから
んなことねぇよ、俺の爺さんが地主だったが
面倒な手続きなんかは爺さんが全部やって
小作人は気楽に畑を耕して儲けてたぞ
爺さんの収入は小作料と言う地代だけ
農地改革の後も役所に出す書類とか
どうすればいいか聞きにきてた
昭和初期の農政は中農標準化だよな。
地主は地域のためにならないというのが、農政担当者の考え方だった。
GHQの官僚に、たくさんの社会主義者がいて、
米国で不可能な社会主義的政策を、日本で実施する実験を気ままに行った。
農地解放もその一環でしょう。
だがそのおかげで、こうして平日昼間から5chできて
格差はあっても米国ほど極端でもない割と平和な日本ができたわけだよ
お前さんが元華族の家に生まれついたなら不平を言ってもいいけど
そうでない限り否定するべきじゃないなw
アメリカ相手の戦争に負けたんだし、負けた側の体制派は
何されようがアメリカに文句言う権利はないんだよw
「戦争に負ければ絞首刑」
これ人類につきまとう絶対の真理だからw
嫌ならヒットラーのように自決するしかないんだぜ
所詮小作は小作でしかないんだよ
日本農業の弱体化
細分化されたせいで生産性を上げられない
兼業も田畑を維持するために多大な労力を割かれている
でも手放さない
これはアメリカにかけられた呪いだな
その程度で済んだからよかったじゃんw
これが中世だったら日本人全員奴隷として世界に売られてたわけで。
欧米は侵略の経験が豊富だからな
昔のようなえげつない事は
長く続かない事を理解しているんだろ
日本は70年以上
アメリカの手の内で転がされてるな
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